紅(あか)に染む日
#3.広い世界で
今日も朝は早い。
6時に起きて、朝食の準備。7時前には家を出て、自転車を漕ぐこと30分。
そこに私の働く会社のオフィスがある。
「あの案件どこまで進んでる?」
「先週デザインをクライアントに見てもらってOKもらいました。」
「あとは値段ね〜。もう少し削れないかこっちも相談してみるよ。ここが頑張り時ね〜。頼んだぞ、有望株クン!」
「はい!ありがとうございます!でも、いつも助けてもらってばっかで、なんかすみません。」
「2年目にしては上出来よ〜。この子なんか同じような案件こなすのに3年はかかってたわよ」
「ちょっと〜。ここで昔の話はいいじゃないですか!紗栄子さん!」
「美樹さんもそーゆー時代あったんですね。なんか意外です。」
「誰にでもあるわよ、そのくらい。だからなんでも頼ってきなさいな。お姉さんが助けたげる」
「頼もしっすね〜、紗栄子姉さんは。愛子も経験積んで、早く私のようにならなきゃね!」
「な〜に、言ってんだか。ほら美樹は休憩終わってるでしょ。仕事に戻った戻った〜」
「紗栄子さんも美樹さんもありがとうございます!頑張ります!」
「その意気だ。有望株クン」
愛子の会社では、顧客の求めるテーマに沿った洋服のデザインの開発と提案を行っており、初めて担当した案件で愛子のデザインが採用されたのだ。
2年目とはいえ、担当するからには最後まで全うする責任が付いてくる。不安と期待が入り混じる毎日を、愛子は忙しくも満ち足りた気分で過ごしていた。
オフィスの近くには小洒落たカフェとちょっとした噴水広場がある。愛子は、昼休みのたびにこの場所へきて、水の流れる音を聴きながら風にそよがれる木々を眺めるのが大好きだった。
「今頃美奈は何してるんだろ」
あの日の旅行以来、美奈とは会えていない。連絡のやり取りはしているものの、お互い仕事が忙しく、休みの日がうまく合わないでいたのだった。
「今度会える日がないか聞いてみよ」
風邪で揺らめく木々の先端の色はすでに黄色くなり始め、季節は移り変わろうとしていた。
担当していた案件もようやく一段落がつき、愛子にもゆったりとした日常が戻ってきた。
「せっかくの初案件もやりきったんだし、休みでも取ってどこか遊びにでも行って来たら?」
「いいんですか!」
「あ、でも彼氏いないのか」
「それは関係ないですよね!一人だって楽しいもん。べーっ」
「ごめん、ごめん、冗談だってば。でも本当に息抜きでもしてきなよ。新しいデザインのアイディアだって思いつくかもしれないしね。」
「ん~、わかりました。じゃあお休みもらうことにしますね!」
愛子は、土日を合わせて5日間の連休をとることにし、その間に美奈と会えないかを考えていた。
「美奈、久しぶり~」
「久しぶりだね。こんな時間に電話なんて、どうしたの?」
「仕事がひと段落付いたから休み取ってこいって言われて5連休ももらっちゃった。」
「やっぱりすごいな、愛子は。一応私も今は1週間休み真っ只中なんだけど。。」
「なにそれ!ちょ~いいじゃん。中々会えないんだし遊ぼうよ!」
「うん。。愛子がいいなら、いいよ。」
「おっけー。決まりね。じゃ、明日美奈んとこ行くね」
「明日!?」
「あったりまえじゃん。時間は有限なんだから、すぐに行動しないと!」
「わかったよ。明日、待ってるね」
「うん!」
久しぶりの会話とはいえ、愛子は美奈の返す言葉からいつもの力強さがないことを不思議に感じながらも、無意識に窓の外に顔を向けていた。それは、視界に映る空一面の曇り空のようにもやもやとした感覚だった。
「やっと着いたよ~」
「お疲れ様。」
「東京って街を歩くだけでほんと疲れるね~。日本にはこんなにも人がいたのかって改めて気づかされたよ。」
「結局は慣れだよ。明日には愛子も慣れてるって。」
「そんなもんなのかなぁ」
二人は合流した後、愛子が疲れたから、ということで初日は美奈の家でゆっくり過ごすことにし、早速美奈の家を目指した。
「会うのも2年ぶりかぁ~。あの旅行以来だよ!」
「あっというまだね」
「こんなにも2年間が走馬灯のように過ぎてくなんて、正直、私驚いてるよ。」
「大学時代なんて1日1日が楽しくて、いつまでもこの時間が続いていく~みたいな気がしてたんだけどな」
「よく言うじゃん。年を取るほど時間の感じ方が変わってくるって」
「言っても2年だよ。まだまだぴちぴちなんだから。私たち」
「確かに。それはそうだね。まだぴちぴちだよね」
二人は家に着くや否や空腹でお腹が背中にくっつきそうな状態になりながらも、美奈は夕食を準備し、愛子は近くのコンビニで買っておいたお酒をそそくさと用意し始めた。
「私と美奈がこれから明るい未来に向かって歩んでいけることを祈って、かんぱ~い!」
「はい、かんぱい~」
大学卒業後の状況、仕事やプライベートのことなど、1時間ほど談笑したあたりで愛子が話題を変えて話を切り出した。
「美奈さぁ。私がここに来る前に電話した時少し変だったよね。最近なんかあったの?」
「なにかあったってわけではないけど、最近仕事が楽しくなくて。しんどいって思っちゃうことが多くなったっていうか。。」
「仕事のミスとか?」
「ん~、それもあるんだけど、大きな理由はそこじゃなくて」
「そこじゃなくて?」
「うん。最初はやっぱりせっかく大きな会社に入れたし、一生懸命がんばろって思ってがむしゃらに働いてきたの。でも段々仕事を任せてもらえるようになってから、仕事の量も責任も増えて、おまけにミスも多くなって、怒られて。そーゆーことが積み重なってきた時ふと思ったの。私ってなんのために働いてるんだろって。私にとって働くって何なんだろって。」
「卒業旅行の時私が車の中で言ったこと覚えてる?」
「うん、少し。。」
「9割の人は生活のために働いてて、残りの1割の人は自由とか夢のために働いてるんじゃないかってやつ。あれってさ、言葉通りに捉えると、スポーツ選手みたいな特殊な仕事をしてる人以外はみんな自分は多分9割の人種なんだろうなって勘違いすると思うの。だって、まさか自分が1割の中に入ってるなんて思わないじゃない。大体の人が、自分は特別じゃないその他大勢だって決めつけてるの。でも、本当はどっちだっていいのよ。だって、大切なのは自分がそう思うか思わないかだけなんだから。」
「そう思うか、思わないかだけ、って?」
「たとえ、それが結果的に生活のために働いていたことになってたとしても、その人自身が、将来はこうなりたいとかこれを成し遂げたいっていう思いの中で挑戦さえ続けてれば、働いてるって感覚より目標に向かって挑戦してるって感覚の方が強くなると思うの。人種は、仕事の種類によって分けられてるんじゃなくて、実はそれぞれの人が持つ目標の違いによって分けられてるって私は思ってる。だから、自分はこれをやりたいってものが明確にある人はすぐに行動するし、一直線にゴールを目指してるからこそ、そこに迷いは生じないんだと思うな。」
「目標、か。」
「今の美奈には何か挑戦したい、目指したい目標はあるの?」
「分からない。仕事だってもっとうまくできるようになりたいし、もっと知識をつけて思うように仕事をコントロールしていきたい。っては思ってるけど」
「でもそれは”今の仕事”だけでの話だよね?」
「え?」
「もっと広く見てみなよ。この世界には数えきれないほどの仕事があるんだよ。自分から選択肢を狭めなくたっていいのよ。もっと広い世界を見て、そこから自分が目指したいものを見つけたらいいじゃん。私だって今の仕事は大好きだし天職とさえ思ってるよ。でも、まだまだこの地球には私の知らない仕事の世界があって、そこで働く人が数えきれないくらいいるんだって考えたら、たとえ失敗したとしても逃げ道がある分気持ちが少し楽になるの。」
「でも、そんなすぐには新しい仕事なんて見つけられないし。今の私にはこの会社を辞める覚悟なんて持ってないよ。」
「まだ私たちはぴちぴちなんだからさ。慌てることないよ。ゆっくり考えてゆっくり答えを出せばいいの。それがどんな答えであろうと、美奈が選んで進む道が美奈にとっての正解の道なんだから」
時刻が夜中の二時を回った頃、少し曇った寒空の下で、今日も2匹の猫は鳴き声をあげて互いにいがみ合っていた。
「私の進む道か。私って本当は何をしたいんだろう。。」
次回は、
オリジナル短編小説~#4「紅に染む日」4-4.わたしの色~
です。
#アイキャッチには自作のイラストを使用しています。